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2006年03月15日
三月の5日間/チェルフィッシュ
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| この前、西麻布付近を歩いていて、タバコを買うためにサンクスに入ったときの話。僕は当然のように280円をカウンターの上において、何も言わず待っていた数秒があった。怪しい人を見るように店員が僕の顔を覗き込まれ、すぐに気付いたのだが、そういえばそのとき「タバコ」とも「ショッポ」とも何も言わず当然「ショッポ」がでてくるものと仁王立ちしていたのだ。でも、その話は数秒のこと。きっと顔も赤くなったと思うが、とっさに我に返り、タバコの銘柄を伝え、そそくさと店を出たのだ。 |
いつもなら、そういった記憶は自衛本能が働くせいか即刻忘れるのだが、この前は少し違っていた。そのささやかなおかしさをしばらく味わっている自分があったのだ。 なぜか? 実はその話、いま公演中の「三月の5日間 / チェルフィッシュ」の20分休憩中の話なのだ。僕は、その休憩を使ってタバコを買いに外にでていた。そのチェルフィッシュという昨年岸田戯曲賞をとった岡田利規率いる演劇集団の公演なのだが、それが非常に面白い。クライマックスや起承転結など演劇における一種独特な気恥ずかしい胡散臭さや予定調和を打破し、「そこにある」貧しい現代性を的確に捉え、拾い上げる姿勢に非常に共感を持つ。もちろん、分野が違うために少しずつ説明にある言葉が異なる(例えば、岡田氏はイメージを肯定的な話としているが、私の場合、イメージほど予定調和の原因になっているものはないと考えている。)のだが、それは最終的なアウトプット方法が異なることから生まれるだけで、ほとんど私と時代感が一致しているように思う。そして、この感覚は私が建築を学ぼうとするきっかけとなった衝動と一致していることをまた改めて自覚させられた。そう、僕が10代後半か二十歳前半頃に「見せる」ということが「見せられる」ということと対になっていることに感覚的に受け入れられず、それを打破するつもりイベントを色々計画していたことがあるのです。(全然、いけてなかったですが・・・) 話を舞台の内容に少し戻しますが、ささやかなアクシデントや会場の意図して施されたものではないような特徴を各自が脚本に沿って拾い上げ、そのたびにことが始まり、消え、スライドしてゆく。また、背景に流れる時系列や役までもが入れ替わってゆくという不思議な演劇(?)だ。受け手としてはそんな表現を通し、また各自が自分の目の前に像を作り上げて行く。そんなもんだから、僕は前編だけでその感覚に完全に染められ、先に説明したサンクスでの話、つまり劇場外にもその表現はつながっていったのだ。 僕はもともとこの手のクリエーションには、非常に共感できるところがあり、建築という予定調和を前提としたクリエーションの中でも絶えず、その手の関心をどこかに織り込み楽しんで行けないか日々模索している。ジャンルは違うとはいえ、それがものの見事に表現されており、羨望のまなざしで見ざるを得ない感じであった。同時に「まだまだ面白いことがこの世の中にはたくさんある」と実感したのだった。 とにかく、見ごたえある超リアルな公演なので、一度見てみてください。 ※まだ、当日券などあるようです。 チェルフィッシュ チェルフィッシュBLOG 岡田利規インタビュー記事 |
投稿者 sschemata : 2006年03月15日 12:09