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2005年09月14日

青森県立美術館を見て<後編>

日記+長坂↓
from nagasaka
2005.09.14
青森県立美術館を見て<後編>
一日、間が開いてしまいましたが、引き続き青森県立美術館の体験記を記します。建物一つで体験記というのもおかしな話ですが、色々他の言葉を想像してもこれが一番適しているような気がするのです。


白と土の塊の間を抜けながらB2F、B1F、1F時間をかけて上に上っていく。すると、徐々に土の部分が減り、白が閉める面積が増えていく。次には徐々に白の間から新たな素材である木がところどころに表情を見え始める。最初の頃はその少しずつの変化に「うまく切り替えているなあ」と気持ちよく体験をしていた。

ところが、その変化があるところから、明らかに別人格に変わっていった。デッキスラブや構造である鉄骨が顔をところどころで見せ始め、その出方も徐々に床・壁・天井という建築のわかりやすい構成から乖離し始め、素材に分解されてゆく。柱やブレスが不規則に出たり、仕上げ面の裏側がブレスが顔出す隙間から見えたり、ファサードできれいに扱われていた白に塗装された煉瓦が、塗装されないまま取り付け金物と一緒に見えたり、まるで今までが虚像であったことを示すように分解されていく。音楽で例えるならMMW(メデスキー・マーティン&ウッド)が奏でる、変拍子の感覚的に通じるものがある。ある踊りやすいリズムに安心しきって踊っていると、いきなりそれを裏切るように調子を変えてゆく。そんな時、僕はいきなり自分の腰の重さを体で感じる。「あ!腰が俺の体には付いているんだ」と。そんな感覚を上の階にたどり着いたとき突きつけられた感じがした。

後だから、こんなことを書けるが、そのときは正直僕は混乱していた。どう理解すればいいのか、東京など多人格で形成される町並みなどではよく体験することだが、少なくとも一人格で形成される建築家の建物においてこのような体験をすることはほとんどない。あっても「裏と表」のように二項対立的な安定的な構成か、明らかに統制できず破綻したものかいずれかな気がする。それはいずれもこのような不安感は与えない。

とにかく、僕は混乱のまま、外に出ることになった。外に出たのはおよそ4時半頃であったであろう。最初に見た外観の表情が気持ち赤らんだ表情に変わっており、なぜかその表情を見たとき先の不安感が懐かしいものとして捉えられた。そして、同時に最初に抱いた「狙いすぎ」と思った感覚は消え、愛着すら感じる顔に見えていた。

と、映画を見たときのようなストーリー性ある豊かな体験をこの建物において感じることが出来たわけだが、正直このような感覚は僕としては初めての体験で、「もっともっと建築は面白い」って思えたのだった。ただ、オープン後は当然ながらバックスペースに境なく入ってゆくことは出来ないわけで、それぞれパーツパーツとして見られることになるであろう。そのとき、また、どのように見えてくるのかまた楽しみである。

と、ここまで色々と体験し感じたことを書いてきたが、皆さんにどの程度この文章で理解してもらえたか、かなり自信がない。でも、その辺はもっと美しい文章をかける人に任せて、僕はこの肥やしを今後の作品の中で展開していきたいと思った。

あ、最後になりますが、 テツヲ君!やっぱり、あの鏡の部屋はわからないや。

投稿者 sschemata : 2005年09月14日 16:55

コメント

ども。
あの部屋は好き嫌い分かれたね。でもあれがなんであるか理解しようとするなら、これから先のデザインも射程に入れないと位置づけは出来ないと思う。だから僕も分からない。

構成とか形式といった語り口をいかに超えられるか、純粋にそれを目指そうとしたときに隠蔽されがちな欺瞞に建築的にどうやって正面から立ち向かうか、が僕たちの世代の切実な問題であるように思います。今日的に本当に知的な問いかけというのはダイアグラムで
はないと思うし。
同時に、切実な問題は普遍的なものではなくて、こだわり抜いて初めて切実化するという逆説も成り立つ。

半端な素材を乱発するというのは設計上は非常にリスキーなわけですが、それでもなお形態や色彩が作り出す空間の質に可能性を感ぜずにいられないというのも、偽れざる今の気分です。

それらをコントロールする主体の見えにくさが問題になっていると思うのですが、それを放棄したままでは建築にはなりえないと思う一方、完結した工事契約範囲がある以上、未完結の建築はありえないだろうというひとかたまりの建築への楽観的で依存症的な甘さをぬぐいきれない気分を抱えていることも否めない(自分ひとりで作っているのではないという構造も拍車をかける)。

そう見てくると、建物を理解しようとすることそのものが今日的に可能なのか、その矛盾を再生産しているのはわれわれ自身ではないか、という反省と、それでも作品を成立させる根拠を求めることとのアンビバレントはさらに再考が必要な主題でしょう。

そういった切実さと楽観的な気分とがうまく仕分けられないまま野に放たれて5年、そろそろ回収しなければと思っているのですが、それにはみなさんの批評をもらいながら、もう少し時間が必要だと思っています。

投稿者 tezzo : 2005年09月14日 18:47

tezzo
ありがとう。

しかし、突っ込みにくい文章書くね。建築にもその要素が出ている感じがした。それが意外と居心地が良かったりするんだけどね。

でも、ダイアグラムの話は引き合いに出さないほうが良いような気がするな。どちらかというとtezzoがいうように「こだわり抜いて初めて切実化する」の方が僕は好きだな。そうそう、MMW聴いてみてね。未完ではないし、最高にかっこいいから(かっこ悪いときもあるけど)。ライブに行くのをおすすめ!俺はビックリしたよ。

また、帰ってきたら飲もうね。
とにかく、お疲れ様でした。

投稿者 joujou : 2005年09月14日 22:48

聞いてみるよ。

投稿者 tezzo : 2005年09月15日 10:19

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